年取るとあの世のことが気にはなる
・近頃比較的近しい人々が旅立たれることが多くなりましてね。
近しい人の多くは、年齢も私と近いことが多くて、
日ごろは特に不健康とか体調が悪いとか、そんなこともなく、
ごく普通に生活していたのに……
ある日突然訃報が飛び込んでくるのですから、いたたまれません。
しかし、少し冷静に考えると、それはいつ何時自分に起こっても不思議ではないのです。
そんなことを考え出すと、途端にこの世の哀れを感じてしまいます。
・そして、旅だった方たちは今どこでどうしているのだろうかって、
かなり気にはなってくるわけです。
三途の川があって、もう渡ってしまったのか……
銭がなくて直前で足止めになっているのかってね。 😀
でもねえ、それは宗教的な概念の問題でしょうから、
仏教信者でもない私が、信じる根拠もないわけです。
死んだらどうなるのか……それが知りたい!
知っておいた方が安心なのです。 🙁
でも、あの世に旅だって、戻った人いないから分かるわけもなく……。
ただ言えることは、人は例外なくあの世に行ってしまうということで、
その辺は平等らしいのです。
・だから、別に金がなくても行けそうで、その点安心はしています。
そして、生前どんなに善行を行った人でも、悪事に染まった人でも、死んでしまったらみんな同じように見えます。
つまり、基準がないのです。
なので、悩むことも無意味だということになり……、
今現在どのように生きるべきかと悩むこと自体、あの世に行くということに関してはどうでもいいことにはなる。
結論が出ないので、いや出るはずもない大きな問題でもあるので、
もうやめますがね。
ほんの少し、頭が整理された気もします。