20年後の私に思いを馳せて
今入院中の義母と私は20才の歳の差があります。
言い換えれば、20年後には義母の年齢になっているということで、体の衰えも義母を見れば想像できるわけです。
- 感じるのは、少なくとも20年前の45才の時と今65才では、確かに体力の衰えはありますが、20年後の85才時点の衰えほどではないようですね。
つまり、これから20年間の下り坂はより勾配が急だということになります。
もちろん生きていたらの話ですが‥‥
義母のように歩くこともおぼつかなくなるであれば‥‥ 😳
今のうちにやっておくべきことは何かと考えるのが普通ですが、
仮にそのようなことがあったとしても、どうしてもやり終えなければならないのか‥‥あまり固執はしないことにしました。
生きているうちにあれだけはやっておきたいとか、これをやらないうちは死ねないとか‥‥馬鹿らしいです。
私にも意地があるとか、執念の問題だとか時々聞きますが、そんなに大事なものなんですかねえ。
プライドに関わるから?
でも、そのプライドって自分の心の中だけのことだし、他人にとってはどうでもいいことでもあるしね。 🙄
そもそも他人は自分のことにはほとんど興味がないんだし、意地や執念なんて自分の考えを変更した瞬間無くなってしまいます。
- 若い頃の意地や執念あるいはプライドは、より高見を目指すために大事な要素であったのは確かです。
でも、もうそんな歳でもないんですよね。 😉
まあ、意地やプライドのおかげでなんとか世の中渡り歩いて来れた側面はありますが、今から20年先までの道程には余り必要無いんじゃないのかなと思った次第です。