嘆きのひとり言
・シニアにもなりますと、大きな社会から徐々に退場していき、
今はすでに町内レベルの日常スケールとなっております。
言い換えれば、その範囲で気配りをしておけば、なんとか生活していけるのです。
大きな社会、たとえば国と県とか……そんなスケールは能力のある人々がやる仕事ですから、
もはや私が……といいますか、最初から関わってもいないのですがね。
そりゃあ、以前は会社レベルであれこれと世の中とかかわり分かっているかのように振る舞ったりもしていました。
しかし、その実は能力の無いサラリーマンに過ぎなかったわけです。
でもね、それも薄々気付いていました。
しかし、それを認めてしまいますと、私にはもはや何も残らないし行くところもない!
実際この体の中は空なのです。
コンとたたけば、からんと虚しい音が聞こえるだけ
まるで、信楽焼の狸の置物のようです。
・と、しぶとく書いておりますが、
ですから、引退してシニアになっても、前後であまり変わりません。
楽といえば楽
むしろそのギャップのなさに驚いているくらいです。
いや、もう一つある。
サラリーマン時代は今よりは収入はありました。
こんな無能な人間でも、長年会社にしがみついていれば、
まあ生活していくに足る給料はいただけていたのです。
まったく素晴らしい会社だったんだ!
こんな不良債権を抱え込んでしまい、やっと処理を終えたわけですから、
清々しているでしょうね。
わたしもね、今後はこんなラッキーはないものと考え生計を立てねばなりません。
パン屋のバイトと年金収入で、いけるところまで行こうと思っています。