夫婦の絆ってあるようでないようで
・結婚してずいぶんになります、具体的には40年近く……
夫婦げんかの後によく考えるのですが、
どうして未だに一緒に生活しているのかなって?
年金生活に突入して数年経つわけですが、
単調な毎日も結構ありますから、そんな日は夫婦であることを特に意識しないのです。
もう一人同じ家に住んでいるなって感じで、別に不都合もありませんからね。
ところが、相手も同じように精神活動を独自の視点で行っていて、私とは相当程度に性格が違うわけです。
しかも、一応女性であって、これはもう別の生き物と言って良いかもしれません。
そんな相手とけんかが勃発すると、いろいろ相手の出方とか、対応の仕方を考えざる終えません!
そして、考えているうちに次第にエスカレートし、遂には妻とはなんぞやとか、夫婦って何かって、そもそも論まで思考が到達してしまう。
・すると、その延長線上になんで未だに一緒に居るのか?
もしもここで袂を分かち一人で暮らしはじめた場合、どのような不都合があるのか否かなんて考えはじめたりする。
これは少々危険水域に近づきつつあるなと、なんとなく察知はしているのですがね。
この辺で少しずつ焦りはじめ、解決策や落としどころを探し出すわけです。 🙄
不思議なことに、妻の方もこちらの不穏な感情変動を察知していて、ヤバい感を感じているのでしょうね。
少しずつ歩み寄りの空気を漂わせてきます。 😐
そこら辺が、長年夫婦をやってきた経験なのか、あるいはこの相手でしか通用しない独特の流れなのか……お互い感じ取っているのです。
そして、ようやく今回はこの辺りでよしておくかってことになり、手打ちの儀式を行うことになります。
その儀式とは……、うちの場合は酒宴です!
酒を飲めば、酔うほどに、なーんも無かったかのように本音を言い合い、矛を収めてしまう。
若い頃は、この後場所を変え布団の中で一時のあれがありましたが……、今はさすがに枯れてしまってますがね。
これが、お互い酒が飲めなければ数十年も前に別れていたのは確実でしょう。
それは、妻も感じているはずです。
つまり、その辺りが夫婦の絆に近い部分であって、案外安っちいのです。
だって、お互いその程度の人間なのですから、なんとなくうまくやって来たのかもしれませんね。