蔵書を手放すのはペットと別れるようなものなのか
・Aさん所蔵の本の売却は、専門書ゆえ難航しております。
つまり、世の中需要と供給で成り立つ社会経済のため、古本屋が二の足を踏んでいるわけです。 😳
このまま、すべて廃棄というわけには本人の意向もありできませんしねえ。
それに一銭も入らなければ、売却額の半分いただけるというバイトもただ働きとなってしまいます。
そして、Aさんと私の間にはなんの義理人情もないのです。
むしろ妻がAさんと異常に親しいことから、私が妻とAさんの関係に疑念を抱いているくらいですから……。
売れなきゃ、さっさと断って引き上げても良さそうなんですがね。
しかし、そのような行動に出れば妻の恨みも買いそうですしね。
・ただ、Aさんが私を知人の夫というだけで、即座に信用し邸宅の鍵まで躊躇なく預けてくれたので……その信頼ってなに?
今になって、ちょっと調べましたけど無理そうですって断れないですよね。
しかし、思うに蔵書って長年自分の横にあるもので、友のようなものですかね?
いや、ペットのようなものかもしれません。
すると、Aさんにとって、とても可愛い存在に違いないわけですよ。
学者だったわけですから、研究の拠り所でもあるわけで……、
そのような心の友を、自分が老いたために手放さなければならないということなんだと、なんとなく気付きましてね。
陰ながらなんとかしてあげたいとも……
・では逆に、売れたとして売ってしまって良いものなのか?
その先は何処でどうなるか分かりませんからねえ。
ある意味、廃棄の先延ばしに過ぎないかもしれません。
もっと、これらの本が生きる道はないものか……ということなんですがね。