亡父のことを時々思い出すのですが‥‥
父親が他界してすでに8年となります。
父は余り雄弁な方ではなかったため、膝をつき合わせて話をしたという記憶はほとんどないのです。
- しかし、私も前期高齢者となり残された時間を時々意識するようになりますと、なぜか亡父のことを思い出すようになりました。
父親は、生まれて何を思いつつ一生を送ったのか
その人生に自身がどのように評価していたのか?
やり残したことがまだいっぱい残っていて心残りだったのか、それともほぼほぼ満足する人生だったのか‥‥
その父の人生の中に私が平行して存在したわけですが、では私は父にとってどのような存在だったのか?
- 手元に残された父の写真があります。若い頃の白黒写真や、小太りの中年の頃、老人となったある日の写真‥‥
そんな写真を眺めてみたりするわけです。
当然、時代背景というのがありますよね。今の社会状況を当てはめて想像しても余り意味のないことです。
しかし、当人はすでにこの世の人ではない‥‥
いくら想像しても、所詮私がそう思うだけのことです。
やはり‥‥生きている間によく話をしておけばよかったなあ
- それに尽きるのですが、仮にタイムマシンがありその時代に戻れたとして、どうする?
おそらく目の前に父がいて、雄弁ではない本来の父の懐かしい雰囲気に接し、それだけで満足して何も話せないのだろうかと考えてしまいます。
それにどれだけ話をしたところで、相手のすべてを知るなんて出来ませんしね。
むしろ知らない部分があってこそ、深みを感じられるのかもしれません。
父は父という一人の人間だった、そう思うことにしよう!