何のために生きているのか
・シニアになりときどき思うのです。
毎日何のために生きているのか……ということです。
食べるために生きているということはない!
逆に生きるために食べているは一応OK
しかし、それは解答にはなっていない。
単に付随的なことでしょうね。
すると、何のために生きているのかは、また別のところにあるはず!
何か生きている目的があるはずです。
・それは何か?
何かをしたいがために生きているとすれば、
その何かは絶対に毎日の生活の中にあるはずです。
しかし……いくら考えても思い当たらない。
もはやこの年齢ですから、夫婦の営み関連なんて過去の話です。
つまり、子作りやそれに関連した欲望のために生きているのではない。
十分枯れています!
要は、二大欲望の食・性ではない!
・じゃあ、何? 何ですか??
逆に死ねないから生きているという立場も有りか?
なんとなく零ではない気はする。
しかし、それはあまりにも悲しいので、ここでは考えたくない!
毎日生きているけど、楽しみや喜びはないのか……
断片的に小さいのは幾つもあるけれど、決定打にはなりそうにはありません。
逆に、生きているのが嫌になることも多々あります。
そういうのと相殺されてしまって、平らにはなっているかもしれない。
結局毎日何のために生きているのかよくわからなくなりました。
こういうのは精神的にちょっと危ない状態なのでしょうかね。
私も生きる目的について考えることがありますが、先日哲学者の方の意見を読み、「生きる目的などない」という結論でした。私もそれでいいと思います。一方で幸せとは何か?という問題も考えてしまいます。
コメントありがとうございます。
ときどき答えなど出ないようなことを考え込んでしまいます。
たぶんそれは日々の生活に充実感が感じられないことがあるんだろうと思います。
でもまあ、それもたまにはいいかなとは思いますが、あまり深みにはまり込まないようにすべきなんでしょうねえ。
タコポン
慣性の法則というものがありますが、石ころやボールみたいな無生物に対するものかと思ってました。そこにある状態を維持し続けるという感じでしょうか。
生物の場合は、「生き続ける」ということが慣性の法則なんだろうと思います。つまり、生きる目的は「生き続けるため」ということなんでしょうね。
なんだか、自己撞着みたいな話ですが、腑に落ちましたね。
コメントありがとうございます。
日ごろは特に考えずに過ごしていますから、生きる目的は何かという疑問には納得いく回答は得られません。
多少精神的におかしくなっていることもあるのかもしれません。
あるいは自身を無理矢理納得させられる屁理屈が必要かも。
タコポン