ちっぽけな心の世界
・我々元部下に対して「見舞いに来させろ」と口にする本音の部分は如何に?
かつてWジジイがパワハラ上司であったのは紛れもない事実 👿
しかし、自分がパワハラをしまくったという認識がない可能性もあります。
つまり、自分は平凡な上司であって、パワハラ人間だとは考えたこともない。
すると、元部下たちが誰も見舞いに来てくれないという現実に接して、
ひょっとして凄く寂しいのではないのか?
あり得るかも知れません。
と同時に、心底穏やかではないのでしょうね。
であれば、さらに飛躍して、「おれはこんな冷たい連中と仕事をしていたのか。
もっと部下たちの人間形成にも力を入れ教育すべきだった」
なんて、考えているかも知れません。
であれば……、もはや天誅を下す以外道は残されておりません。
・せめて、自分が熱出して寝込んでいるにも関わらず、誰も見舞いに来てくれない。
こんな状況に接し今までの言動やパワハラに気付き反省し、改心しようとするのであれば、救いの道もあるかも知れません。
しかし、そうであっても、もう遅い!
我々としてはもはや関わりたくない、それだけなのです。
過去の傷は消えませんが、せめて目の前から消えて下さい。
なにもしませんから……と言う願いのみです。
・しかし、時に自分のこういった思考、ひねくれた行動に嫌気がさすわけです。
なんてちっぽけな人間なんだと!
でもね、少なくとも私は人格者ではありません。 🙄
平々凡々な大衆老人にすぎないのです。
いつもこの辺で開き直って逃げてしまうのですが、そうすると妙に納得して心が落ち着いてしまう。
凡人がゆえなのでしょうね。
普通ですよ。昔嫌な思い出のある人に会いたくない、ましてやお見舞いに行かないなんて至って普通です。私は飲み会でさえ集まる人に好きでない人がいたら参加しません。
自己中心的な人は環境がすでに変わっていても、昔の人間関係のままだと
勘違いしているわけです。
出かけて行って、あんた間違ってるよと言う必要もないので、完全無視と
決めてはいるのですがね。
小間使いのような人間がいるので余計なストレスがかかるわけです。
タコポン