人生について考えてしまう
・諸行無常の響きを感じております。
つい最近まで酒を酌み交わし、互いに笑い、怒り、愚痴を言い、そして毒を吐くがごとく元上司の悪口を言い、慰め合っていた友人が……もはやこの世にはいないのです。 😳
葬儀はH田さんのお姉さんとその息子、他親族一名の簡素なものでした。
私とS山さんも同席し、通夜もなく簡単なお別れの言葉を葬儀屋主導で1時間程度、それで終了。
数時間後には骨になって戻ってきました。
それがどういうことなのか未だによくわかりません。
H田さんという生き物がもはや存在しないのです。
つまり、質量がなくなってしまったわけで、運動エネルギーも位置エネルギーも生じない。
無なのです。
人間はいずれ終わりが訪れることは頭の中で分かっていますが、余りにも突然でねえ。
・本人はどういう人生だったのだろうか?
満足していたのか不満だったのか……或いはまだやり残したことがあったのか、
今となっては知る由もありませんが 🙄
ただ、人生の評価は他人がするべきものではなく、
あくまで自分でどう思うのかということでしょう。
横から見てどんなに不運な人生のように見えていても、本人が満足していれば良い人生なんだし、
順風満帆な生涯でも、死ぬ瞬間に嫌なことがあれば悔いの残る人生に転落するかもしれません。
私の立場としては簡単です。
数少ない知り合いが一人この世から消えてしまった、その一点です。