大荒れのクリスマス会
・「A氏を囲む会」主催のクリスマス会は昨日終了しました。
元カルチャー講師で妻の大学恩師でもあるA氏を囲んで教え子たちが開催したものでしたが、
私に出し物を半ば強引に押しつけたのです。
まあ、妻との夫婦げんかの和解カードとして出し物承諾を切ってしまったので、
いやいやながら用意しました。
出し物といっても、手品やものまね的なもので笑いを誘い、場を盛り上げるようなものは受け付けてくれません。
文学少女たちがそのまま真面目に年食った集団ですから、あくまで堅く真面目なのです。
当然出し物も学会風のプレゼン形式を求められましてね。
プロジェクター使い……、場がしらけますよね。
・ならば、とことんしらけるように文学に対抗して、私の得意なマンガの分野でプレゼンしました。
タイトルは「社会におけるマンガの重要性について」
歴史と社会におけるマンガの位置づけ、さらには精神活動において、このような殺伐とした世においては笑いの心が重要である。そのためには文学みたいな堅くややもすると陰鬱になりがちなものより、マンガのような軽くさらっと心に入ってきて笑いと夢を与えるものの方が人に活力を与え明日も生きていこうというエネルギーなり得る。
なんて、ほぼけんか売ってるような内容を切々とマンガを出しながらプレゼンしたのです。
特に、ギャグの重要性について
例えば昭和30年代少年サンデーに連載された赤塚不二夫のおそ松くん、その中でイヤミのギャグ、ミーは/おフランスでは/シェー/ざんす/チミは……など例に取り、その効果と笑いを解する心が養われると人に対しても優しくなれると理路整然と女史たちに語りかけたのです。
女史たちにとって文学イコール高尚で真面目、マンガイコール不真面目かつ軽薄のイメージが打ち壊されましたので、発表が終わるや反論の嵐となりましたが、
私は当然反発は予想し、対抗意見を用意していましたし、さらに現在のようなスピード社会における文学の無力さと即効性のなさを例を上げて説明し、対してマンガの精神やイメージで語りかける即効性が大衆の心をつかむと主張し、次々と論破していったのです。
ざまあ!
酒も回りましてね、修羅場と化しましたが……
女史たちは、文学の権現のようなA氏がそのうちなんとかしてくれるだろうとチラ見していましたが最後まで無言のまま!
そのうち、時間となり酔っ払い女史たちはなおも意味不明な言葉を連発し、口だけは別の生き物のように動きまくっている。
そのような状況で終わりを告げたのです!
終了と同時に私はまっしぐらに家路につきました。
妻が帰ってきたのは深夜でしたが……、気が付くと玄関で寝てました。
たぶん、これでいいのだ! 😀
これですべてが終わり、囲む会にも参加することはなくなりました。