単調な日常の中、母親を思う
・元同僚たちとの宴会も終わり、単調な日常が戻っております。
妻は本日夕方帰宅予定で、それまで特に人との接触予定もありません。 😐
世間ではいつの間にか新型コロナが再び盛り返し、猛威を振るっておりますねえ。
今回はオミクロン号で人間社会を攻撃しています。
しかし、私の場合、人との接触はまれですから、人から感染する機会は極端に少ないのです。
いわば、対岸の火事を見ているようなところがありまして、現実社会と捉えられない部分もあります。
・窓を過ぎゆく雲を見ておりますと、妻の顔が浮かんできました。
今頃は郷里で母親の世話をしているのでしょうか。
なぜ娘は親の面倒を親身にみるのか……、一方で男の方は一度家を出てしまうとなかなか戻りません。
考えてみれば、私の母親もすでに90才を過ぎています。 😕
もはや10年単位の物差しでの思考は出来なくなっているはずです。
息子の私に会いたいと思う気持ちは当然あるはずで、心待ちにしているのかもしれません。
一方で、私はここ2年余りコロナ禍にかこつけて殆ど会いにも行っていないことに気付きました。
やはりここは、人として、会って話の一つもしなければならないでしょう。
それが、育ててくれた親に対する感謝の一つになるのかもしれません。
会えば会ったで、口げんかするに決まっているのですが、会わないよりはましなのかもしれないと気付きました。 😯
そうだ、近いうちに母親に会ってこよう!
いろいろあって、父親の死に目には会えなかったしなあ……