お墓にくっついてくるもろもろの問題など
私はお寺や神社に参拝すると手を合わせますが、基本的に無宗教です。
手を合わせるのは習慣みたいなもので、小さいころそうするものだと親に教わったからに過ぎません。
むろんキリスト教その他諸々の宗教にクビを突っ込んだこともありません。
- でも特に不都合なこともなく日常生活を送り生きてきました。
その日常はというと、正月には神社に初詣、盆には仏さん、送り火を見て、クリスマスにはケーキを食べる‥‥宗教家からみるとこの上なく節操のない人間でしょうね 😯
でも単なるイベントとしてみているのであって、宗教云々とくっつけて深く考え行動したことは一度もないのです。
でも、根底には目に見えないものに対するちょっとした畏れや、理解できない世界に対する恐怖みたいなものがあって、日ごろの生活にはないのですが、親族のいる故郷に帰ると、そのようなイベントの際に時々姿を現してきます。
- つまり、いろんな付き合いにおいて、これ抜きで避けて通れない田舎の現実もあります。
たとえば江戸時代の檀家制度の名残とか、結いとか村社会のしがらみなどに派生する‥‥?
親の世代まではまず間違いなく存在していますね
多くは神仏に根ざした地域の慣習や風習であり、祭りもある意味そうだし、突き詰めれば旧来の人間関係そのものともいえるわけです。
すなわち、日常生活の一部となっているため、そこに住み続ける限り従わなければならないもがあります。
でないと、非常に生きづらい 😕
ところが、私は地域に留まらず外に出てしまいましたから、そういった日常生活の外にあるわけで、その点救われています。
ただ、故郷に帰れば親戚との付き合いとか近隣の親世代の関係は無視できません。小さいころいろいろ世話になったし、かわいがってもらったわけです。
それに彼の地との付き合いは距離が離れていても関係なく、諸事要求が来るわけです。
その一方で、私は今劇的に変化した社会、つまり外の価値観で生きてるわけで、その辺の窮屈さが耐えきれない。
- 今後ますますこの乖離は大きくなっていくのでしょうね
私がそう感じているのですから、子供世代にはもはや理解できないことなのかもしれません。
私個人としては、これからは徐々に関わりを薄くしていきたいのですが、
扱い方を間違えると親戚や近い人々から猛烈な反発が予想されます‥‥
そりゃそうですよね、どっぷり浸かって今までそこで問題なく生活していますし、それが普通であり常識なんです
ただねえ、そんな時の説明として、理屈じゃないんだ心の問題だというのですがねえ
その心に人を説得できるだけの理屈が無ければ納得もできないんですよねえ
その場所から徐々に遠ざかる方策はないものか‥‥