大衆シニアが考える人間の正体
・あくまで大衆シニアとは私のことですから、内容に高尚性を求めてはいけません。
その辺の老いたおっちゃんが今何を考えどの方向を見て生きているか……
そう書くともはや読む意欲が無くなるのかもしれませんがね。
ただ、日々じっとしていても基礎代謝というものがありますから、腹は減ってくるのです。
・すると、食欲という強烈な本能が目覚めてきまして、飯が食いたくなる。
そのときです。
何を食べるのか、いや何が食べられるのか?
大衆シニアの中でも年金で生きている人々は、金銭的に余裕がない。
すると、必然的に食べられるものが限られてきますからねえ。
そこなんですよ。
如何にして満足するのかという話です。
スーパ-に出向けば特売とか安い食材を中心に幾ばくかのものは購入できます。
そして、最近は米や卵が高騰していますが、少しずつ食べればこれもまたその日はなんとかなる。
しかし、翌日になるとまた腹が減る。
・そして同じようなことを繰り返すのです。
そんな一日一日が際限なく続き、5年10年と積み重なっていく。
すると、さすがに長い目で見ると老いてきましてね、最後の時が来るのでしょう。
それが……一生です。
でも人生ではないと思っています。
人生にはその人の性格や能力による人間行動が含まれていて、それに起因する行動の繰り返しの集大成が人生なのかもしれませんが、
・一生は日々失う基礎代謝を補充する行為の繰り返しなのかもしれませんがねえ。
あまり、そこは理屈こねてもしょうがないので、私という大衆シニアに戻りますが、
基礎代謝の補充を繰り返し、その積み上げだけで一生が終われば、そこには心がないのため、
実につまらん内容になってしまいます。
でも、ある意味そうなのです。
真剣に考えると生きてることがつまらない!
何のために生きているのかわからなくなる……。
ということで、今悩んでいるのです。
もう後半ですから、あと何回基礎代謝の補充を繰り返せばお迎えがやってくるのだろうか、
なんてそんなこと本当なんだけど、あまり考えないようにはしています。


「それが……一生です。でも人生ではない」
私の心に深く刺さりました。
「人生にはその人の性格や能力による人間行動が含まれていて、それに起因する行動の繰り返しの集大成が人生」
本当にそうですよね。
言葉にして頂いて、ストンと腑に落ちました。
私(62歳)には高齢の母(90歳)がおります。
脊椎管狭窄症にて足の痺れがあり、歩行困難です。
昨年、潰れた背骨の手術をしましたが、
足の痺れはとれませんでした。
日々、衰弱していく母を見て、
掛ける言葉が見つかりません。
生きる事はこれ程辛い事なのかと、
日々もがいております。
コメントありがとうございます。
老いて初めてわかることもたくさんありますが、一番大きな実感は人生後戻りできないということです。
今更ながらその当たり前だけどつらく大きな真実と日々向き合っております。