人生の終着駅はどこ?
・日本という国にいわゆる老人が増えて幾久し……。
そして、気がつけば自分もそのジャンルの人間となっておりました。
今のところは自称シニアということでごまかしてはおりますが、老人の類いであることには間違いはございません。
しかし、どんなに空元気で頑張っていましても、いずれは終着駅は訪れます。
そして、それはいつどのような形で目の前にやってくるかは全く不明です。
ただ、それが日一日と近づいていることは間違いはございません。
そりゃあ、適度な運動を課したり、栄養バランスに気を遣ったら、はたまた精神的な安定を図ることなどにより先延ばしすることはできましょう。
・でも、それは所詮本質ではありません。
終着駅は確かに存在し、刻一刻とその姿が明確に見えてきているようでしてね。
でも、それが運命であるならば、今何をなすべきか……
あるいは、そんなことは考える必要もなく、ただその日が来るまで普通に生活すればいいではないか……
うーん、難しいものです。
そして考えた先にあるのは、果たして悟りと呼ばれるものなのかどうかもあやふやです。
それに、悟りなんて開いても死んだ後に役に立つのかどうかすらわかりません。
非常に前置き的なものが長くなりましたが、
毎日カフェにやってくる常連のお年寄りたちはこの点に関してはいかがなのか……
悟りなんて開いているようには思えません。
むしろ煩悩渦巻く現世のただ中で、わいわいガヤガヤ生きているようにお見受けするのですがね。
でも、それでいいのではないかと最近思うようになりました。
そうなのです、終着駅なんていつどこにどんな形で到着するのか誰もわかりませんからね。
・この歳になれば今日一日楽しければいいのです。
カフェに毎朝集うお年寄りたちを見ていればそう思えるようになってきました。
つまり、毎朝カフェに来るのが爺婆たちの生きがいなのです。
その爺婆たちは明日にはもう来れないかもしれないという、切迫感も心のどこかに持ち合わせている。
そのことに気づくと、これはもうインバウンド客を排除しろという無茶な彼らの要求も軽々には扱えないということでもあります。
しかし、私はこのカフェで生計を立てている訳ですから、
私は私で生きていくために判断を下さなければならないこともあります。
うーん、どうしようかね。

