慣れというものは恐ろしいものだ

・何事も喉元過ぎれば忘れてしまうのですがね。

それは一瞬の大事はあっても、なんとかやり過ごそうという決意でもあるのです。

私の場合はね。

ところが、毎日の貧困生活は喉元過ぎません。

ずっと、そして過去から未来に向け、続いていく一本道のようなものなのです。

今となってはね。

すると、それが当たり前ですから、慣れが生じ、諦めもあって、歳もあって、

この先なんとかこの生活から脱しようという向上心がなくなってしまっています。

・するとね、希望も無くなるのです。

希望は大事ですよね。

それを頼りに今日を頑張ろうと思うのです、一生懸命働いてね。

でも、将来の希望像がないですからね。

感情の浮き沈みもなくなってくるのです。

必然的に愚痴が多くなりましてね。

沈んだ感情が心の中を支配するようになる。

妻と話をしていても、現状の不満にはじまり、世の中の事象ですね、あらゆるものに関して不満を持ち、

そして愚痴る……

そんな生活に慣れてしまいますとね。

それが当たり前になってしまう。

これはヤバいです。

なんとか脱して、そして明日に向かって生きていきたい。

それには明確な目標が必要です。

すると、その目標達成が希望になるはずです。

その点を見失ってしまっては、生きている意味がなくなりますからね。

やっとクーちゃんも新居が見つかり、来月から妻と水入らずの生活に戻ることができます。

これもささやかな希望だと言えなくもないですが、それじゃあ余りにもちっぽけな話です。

もう少しましな目標を持って生きていきたいと日々思っているところです。

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