隣より、我が家の芝が青く見える時

・人生は相対的評価のもとに成り立っているのでしょうか。

日々の幸福度を実感する尺度とは実にいい加減なものかもしれません。

あくまで自分の今の状態、これが基準にあるようです。

そして、毎日何も考えず生きているとしても、なんとなくその尺度は持ち続けている。

そして、果たして幸せなんだろうかという疑念は常に持ち続けていて、

それを判定するのに隣の芝がある。

・別に自分がそんな気がなくてもですね。

ご近所シニアの菊田さんに強引に相談があるというので喫茶店に誘われついて行くと、

彼の今置かれている境遇がいかに悲惨なものであるか……

切々と本人が勝手に語り出し、私はその気もなくただじっと話を聞くばかりでね。

でも、勝手に私も同じ境遇だと判断されていて、

奥さんに虐げられているうだつの上がらない男だと決めつけられていて……、

それ自体実に腹の立つことなのですがね。

それはさておき、見方を変えてそのような悲惨な方が私の近所に存在することは確定したわけで、

それに比べて私はなんて幸せなんだろうと思えるわけです。

我が家の経済状況は決して満足いくものでもなく、数え上げれば不満の数も両手に余る状況ではありますが、

それも菊田さんに比べたら……と、

なんとなく幸せをかみしめてしまうのです。

これって、俺は性格悪いってこと?

二人分の人生があって、並べてみると自然と比較してしまうのは当たり前と言えば当たり前か……

そんな感じでつかの間のあまり中身のない幸福感に浸ったのであります。

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