竹馬の友を思う
・今までいろんな年代で友人は存在しました。
元同僚の方々もそうですし、ご近所シニアの方々もいらっしゃる。
そして、A婆さんもそうかもしれませんし、モールで知り合った爺婆もそうでしょう。
しかし、大人になって以降の知人友人は人格が確立してからの知り合いですから、
初対面から駆け引きが入ってしまっている気がしましてね。
何も前提なく話ができてわかり合えるかといいますと、どこかに計算や打算というものを感じてしまうのです。
・それに反して、竹馬の友は違います。
まだ人格形成以前の頃から遊び、そして馬が合ったからこそ友達になったわけですから、
そこには私利私欲の欠片もないのです。
でも、そんな竹馬の友がいるのかなと……
一人だけいるのです。
しかし、もう数十年会っていませんし、今どこにいるのかさえわかりません。
ときどき人間関係に疲れたとき、あいつに会ってみたいと……
そして、また一緒に浜に釣りに行っていろんな話をして……
人生が残り少なくなってくると、頻繁にあいつに会いたいと思うのですが、
どうすべきか?
探してみるべきか、しかし最後に会ってから数十年経過していますから、
会ってがっかりするかもしれません。
だとすれば、昔の思い出を胸にしまい込み、あえて会わない方が良いのかもしれません。
今悩んでいます。
会おうと思えば、田舎に帰り誰に聞けば消息がわかるか粗方想像は付くのですがね。


会える時に会っておくのが良いですね。
私の竹馬の友は30歳頃エホバに入会してしまって会えなくなりました。
相当な資産や財産も全てエホバに吸い上げられて貧乏生活をしているようです。
違う所で働いていたのでそんな事とは知らず、止められなかったのが残念です。
コメントありがとうございます。
むろんご指摘のような思いは強いのです。
一方で、会わない方が良かったという思いもしたくないと……
その辺が踏ん切りの付かない弱い私なのかもしれません。
Rockeyさんの悔しい思いは伝わってきました。