大衆シニアの生きる道
・A婆さんをグループホームに見舞い、そこで繰り広げられる社会生活を目の当りにしました。
あそこはあそこで日々厳しい心の葛藤があるようでした。
如何に生活は保障されていようとも、心の中は別問題なのでしょう。
満たされた部分があれば、それはそれで意識の世界から出て行き無意識となるのです。
そして、自分が欲している部分だけがクローズアップされ、たとえば施設にいるただ一人の老いぼれ爺さんの争奪戦!
これが、日々の生活でかなりの比重を占めてしまう。
広い視野を持つというのは大切ですが、この場合閉鎖空間での価値観がまったく違うため対岸から見るような視点はできないのでしょうね。
しかし、私がとやかく言う問題では全くないことも事実です。
そこはA婆がどう振る舞うか見守るしかありません。
そして、そのような競争社会でいることで、若干痴呆が戻りかけているようでもありました。
やはり、満ち足りた社会で刺激なくすごくことも幸せなようであり、足りない部分もある。
皮肉なものです。
・で、私は私です。
私の生活している世界はあそこではありません。
今置かれている世界で精一杯生きて行くしかないのです。
パン屋に戻りました。
留守を頼んでおいたパートの方にお礼を言い、マスターの私に戻りました。
ここにしばらくいる間に、なんとなくしっくりきている自分に気付くのですが、
それに満足しているようでは明日の生活がままなりません。
年金に毛の生えたような収入では、来年の今頃生きているかさえ分らないのです。
・ということをつらつら考えながら、じゃあこの先どうすべきなのか……
店内にはいつもの常連さんが散見されますが、
しかし……このところあの婆さんの姿が見えないなあ。
一人のお婆さんの存在が消えていることに気付きましてね。
良く話をしていたもう一方の少し若い婆さんに聞いてみました。
すると、足を骨折して現在リハビリ中とのことでね。
やはり、高齢社会とはいえこの店も高齢者の比率がけっこう高いのです。
この先それだけでも先細り感が否めません。
結局あと何年店をやるかという将来ビジョンにも関わってきますがね。
まだいろいろ考えなければならないことが多そうです。