忍び寄る痴呆の陰?
・実際のところ自分自身ではよくわかりません。
というのも、過去に痴呆になったことがないからです。
でも、なんとなくその陰を意識するといいますか……
具体的には? うーん、例えば……
基本的にシニアは外向きな生活ではなく内向きの日々なのです。
・以前のように積極的にあるいは強制的に働くことが少なくなりましてね。
パン屋のカフェの仕事も、一日中同じ場所でコーヒー作って提供しているだけです。
お客との雑談はあるものの、それは契約や受注目指した虚々実々の駆け引きではありません。
緊張のレベルが違うのです。
すると、頭のピリット感がそもそも桁が違いますから、毎日起伏のない精神活動が続いていくのです。
そして、それとは別に……いや、ここのところがよくわからないのですが、
徐々に物覚えが低下しているようでして……、
たとえば今スマホを使って調べたいことが二つ(A、B)あったとします。
同時にできませんから、まずAを選んだとして、それが終わるとすでにBを忘れてしまっているのです。
それからしばらく経ち、何らかのきっかけで、ああそうだ! Bを調べなければと気づくのですよね。
それが、3つとか4つなど調べることが増えれば、いよいよ頭が混乱。
しかも昔は同時並行でできていた記憶があるため、明らかに頭脳活動が退化しているようなのです。
・しかし、これってそもそもベクトルが痴呆に向かっているのかどうか……わかりません。
向かっているとすれば、どうすればいいのか……わかりませんし、
向かっていないのであれば、老化の一局面として受け入れるしかないのですがね。
あるいは、回復させる方法があるのかどうかもよくわかりません。
つまり、曖昧模糊とした不安の中で一人もがいているともいえます。
打開策は?
たまにはとてつもない緊張感を味わい心身リセットするしかないのかなあ。
だとすればどんな方策があるのか……
毎日殻に閉じこもり安心安全の中にいようとしていますからねえ、外向きに緊張感を味わうのもそれ自体決断と勇気が必要です。
シニアとは……こんな低次元のようなことで悶々する生き物なのかもしれません。
いや、私だけの問題かもしれませんがね。