貧富の差が拡大するシニアなれど
・もはや年老いた身であれば……挽回する余力は残されてはおりません。
これから一山当てようなどとそんな発想すらないのです。
衰えいく体力と頭脳、そして残された時間の少なさ……
そういう位置に立って初めてこれからできることの少なさにうろたえるのです。
先日のフードコートでの面々ですね、彼らは社の元役員たちでね、
お金はたんまり持っているのですよ、そして昼日向から穏やかに談笑しながら流れいく時間を楽しんでいる。
そのとき私は……せいぜいフードコートの好物のカツ丼を味わうことにこの上ない幸福感を抱きながら、
パン屋をどう切り盛りできるのかに時間を割いている。
・いわば余裕という単語はそこにはありません。
一方彼らは余裕そのもの、ありすぎて使い切れない状況でもある。
若いうちはまだいいのです、残りの時間もたんまりあって体力も気力もある。
おつむにはまだ使える脳みそも少しは保管されていて……
だから一旗揚げてやろうという気力もみなぎるというものです。
だからストレスはたまらない!
であるが……シニアとなれば別です。
方々の地位にはもはやいけない、逆立ちしても無理。
強いて言えば宝くじみたいなもので奇跡の幸運に恵まれるしかないのです。
しかし、宝くじ買うのだったら、食いつなぐためにチャルメラを買いだめしておきたい!
・この発想は実に堅い、堅いが地味でせこせこ感に満ちている。
それが底辺のシニア的発想なのです。
なんてつらつら考えながら妻と愚痴りながら焼酎のお湯割り薄めを流し込む今宵。
でも……それも幸せの領域なのかもしれません。
きっと方々も個々に悩みもあり、金では買えない苦労もあるのでしょう。
そう信じたい。
でも……お金はないよりあった方がいいなあ。