本質はエロジジイの私

・人には煩悩があり、ちょっとしたことに右往左往……悟りを開けない私です。

いくつになりましても、時間がたてば腹が減る、するとあれ食べたいこれ食べたいと……

それとは別に、この服着てみたいとか、旅行に行ってみたいとか、

生きていればいろんな欲望があるのですがね。

それと同じように、何歳になっても異性に対する魅力には弱い私があります。

・つまり、異性を見る目は何歳になっても変わりません。

やはり、この世に女性がいる限り性的な感情を抱かずに生きていくのは不可能ということがわかりました。

であるが故に、人間は繁栄し地球上にこれだけの人々が生息しているということでしょう。

しかし、そんなことを考えながら、昨日もパン屋併設のカフェのマスターとして働いておりますとね、

ときどき通勤途中の若い娘さんがやってきます。

そして、帰り際にふっと香る香料の匂いとか、髪のそよぎとかそんな何気ない男性にはないものに、

ジジイのセンサーが感知しましてね。

ああ、生きてるんだと感じてしまう。

老いた爺さんの一瞬の活力となっているのです。

そして、その一瞬の活力は目に現れエロ感を出しているのかもしれません。

・時にその女性が怪訝な目つきで店を出て行く。

これはいかん!

こんな場合じゃない、今は生活第一。

俺はこんなことにうつつを抜かしていてはだめなんだ、集中力が亡くなっている自分に気づくわけです。

でもねえ、いろんな感情が錯綜し、人間が生きている。

これは私一人に限ったことでもないでしょう。

大衆シニアの何気ない日常として自分を受け入れなければと……

爺さんになっても生きていくのは大変だ!

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