老人は悟りを開き死ねるのか
・ここでいうところの老人とは即ち私です。
私を含めた巷の平々凡々な爺婆の方々、はたまた突出した宗教家や国家百年の計を唱える大政治家の方々ではありません。
それなりに幸運なことに生きてこれ平凡な大衆シニアです。
残された人生もさほど長くはなく、かといって精神的に安定した状態でもない。
今日何かトラブルが発生すれば、途端に動揺しオロオロし、家族を巻き込みうろたえるそんな方々。
・しかし、人生いつ終わるかわからないのに、あの世に行く心の整理がついていないのです。
ということに気づきました。
これである日体調を崩し医者に診てもらうと、あなたは余命2ヶ月の癌ですなどと、
そう言われた瞬間精神的になにも用意できてませんからパニくるでしょうね。
だって、死んだ後の世界なんて考えたこともなく、その日暮らしで今日なんとか終われば自動的に明日が来る、
その流れで一ヶ月たち一年たち……気がつけば今ここに居る。
そんなシニアの私ですが、どうするんだろうね。
あと二ヶ月でこの世とおさらばなんてことになったら……
最近よくそんなことを考えるのです。
・でも、今更その時点で生きる意味とかそんなこと考えてもしょうがない。
たぶんあくまでうろたえながら今日が終わり明日が来る、そして同じようにうろたえてその日も終わる。
そんな感じで最後の日を迎えるのだろうなと思います。
でもねえ、それが大衆シニアではないのか!
それでいいんじゃないのか……
大衆おじさんがあわてふためき悟りが開けてしまったら、それは悟りなんて大したものではないことになりますしね。
仮に悟りを開けたとして、それが陳腐なものだったらがっかりするだろうなあ。
だから、今日がよければいいのです。
そういうことにしておこっと!