シニアでもなにもかも面倒くさくなるときはある

・一年365日いつも同じ心でいられることなんてありません。

微妙に感情の浮き沈みがあり、なにもかもいやになりどこかに行ってみたくなるときがあります。

他人はそれを贅沢だというのでしょうか……

昔なら吉田拓郎の歌のようにペニーレーンでバーボンでも飲みながら、

愚痴っているようなことをしたのかもしれませんがね。

・今は、いちシニアとして、人混みにまみれ雑踏の中を歩くということぐらいしかできません。

そして、ここにいるのは私以外の何者でもないのですが、

ふと他人に乗り移ってしまったかのような錯覚に陥り、

他人になった気分で自分から離れる。

しばらくして何かの瞬間に自分に戻るとさっぱりしたような気分となり、

やっぱり自分でいた方がいいよなって考え我が家に戻る。

そんな気分ですかね。

元同僚のS山さんもそんな気分になった瞬間があったのかもしれません。

ぶらっと旅に出て、不意に戻ってくる……彼はそのとき隣に女性がいましたけどね。

まあ、そんなことを暇に任せ考えながら日々生きているのです。

・でもねえ、米もないしこのところの物価高です。

日に日に食べられるものが少なくなってきています。

質も低下、相対的に摂取できる栄養素の範囲も狭まっているような気がしてさみしいです。

この調子でいくと、いずれどん詰まりに行き当たってしまいそうです。

そんなことがないように、スーパーに行けばカップ麺や餅なんか買ってストックしているのですが、

これってあり過ぎても食べようという意欲が生じませんねえ。

やはり、文明社会にすんでいる身としては、それなりの調理されたものをいただきたい。

そう思いながらテレビをつけると、外国で戦火の下泣き叫んでいる子供たちの映像。

うーん、シニアになってもいろいろ考えるところはあります。

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