何のためにあと何年生きるのか
・今日が終われば自動的に明日がやって来ます。
明日が終われば、これまた自動的に明後日が来ることでしょう。
今日も明日も明後日も、さほど変わりはありません。
といいますか、変わりがなければ平和な一日だったということなのでしょう。
ですから、さほど変わりもなく今日一日過ごせたら良いなあなんてね。
朝出がけにそう思ったりします。
でもねえ、その積み重ねで一年が経ち、二年もすぐ過ぎていく。
もはやシニアの領域に深く入り込んでおりますから、
平和な一日を過ごしていてもゴールが近づいてきているのです。
このまま平和なまま平々凡々寝て起きてパン屋で働き飯を食い……、
その繰り返しでお迎えが来てしまう。
これでいいのか!
逆に、生きるために四苦八苦、ああなんとか今日無事生き延びることができたと、
毎晩ほっとする。
そして、明日の今頃無事ここに戻ってくることができるのだろうかと、
不安なまま床につく。
・毎日そんな緊迫感の中で生活していくのと、どちらが良いのか?
うーん、難しい問題だな……
両方程々に混ざり合っていた方が良いのかな、
そんな都合の良いことなんて世の中ないのであって、筋書きのない人生ですから明日のことは分らない。
でも、分らない明日をなんとかできるのも自分自身なんだけど、
そんな大それたことも考えずに大衆シニアの私は毎日生きているのです。
ほぼ何にも考えておりません。