意固地になるのはシニアジジイの本性と知る
・世の中自分の考えるほどうまくはいきません。
若いころはなんとなくそれを人のせいにして俺知らないと避けていたのです。
誰かがやってくれるだろうと、政治家はそれが仕事だしなとか……
会社では、給料分は働きますがね、後は担当の人がやれば良いんだとか……
ある意味自分の心の中に境界を作り上げ、そこから外には出ませんでした。
でもね、本音はもっと貢献してみたいとか協力できることは何でもやってみたいとか、
多少は思っていたのです。
しかし、時間もないし、自分に力がないことは十分に理解していました。
で、見て見ぬふりをしてね。
気が付けばこの歳です。
・ところが、シニアの領域に足を踏み入れ、ジジイも深まってきますとね、
何かをしようとする時間は十分にある。
でも、金がないからバイトなどで埋め合わせの日々が続くようになりましてね。
体力的にもできないことが多くなり、住む社会が狭まってきました。
だんだん考えや視野が狭まってくると、
妙に感情的になり1つの考えややり方に凝り固まってくるのです。
もっといけないのは、自分以外の考えややり方に耳を傾けなくなってしまう。
ふと気付けば、そんな爺婆がけっこういるなと、
よく融通の利かないのがシニアの特徴の1つのようにあげられますが、
シニアジジイになった自分も同じ特性や行動を持っているのです。
こりゃあ驚きだ!
ということは、実は私はごく普通のジジイなんだとちょっと安心してしまう。
でも、これってある意味十把一絡げの中にいるようでもあり、少し寂しいわけです。