寡黙なシニアジジイの新年宴会

・ご近所シニアの新年宴会がありました。

昨年末、とはいっても10日ほど前に忘年会したところなのですがね。

年が変わるとすぐに新年宴会なのです。

これはつまり……如何に時間を持て余しているかということなのですが、

本人たちはそのことには気付かず年が明ければ何かしなければならない!

すると、すぐに頭に浮かぶのは昨年やった忘年会、だから新年宴会もやろうと……

連絡が来ましてね。

幹事は当番制になりましたから、今のところ何もしなくても良いのですが、

とりあえず参加メンバーには入っているのです。

・といいますのも、けっこう寡黙な方が多くてね。

参加メンバーが少ないと、ただ面と向かって黙々と酒をあおり続けるという、

不気味な光景が広がるだけなのです。

そこは、必ずおちゃらけムードを持った方が入っていなければとても時間が持ちません。

そろそろお気づきだろうなと思いますが、つまり……私はその要員なのです。

私も基本的にはあまり多弁な方ではありませんが、

このところのバイトにはじまりパン屋店主など商売に手を出していますから、

寡黙じゃ務まらないのです。

多少なりともお世辞の一つぐらいは言えるようにはなっております。

そこの辺りを見込まれまして、ご近所シニアの宴会には重宝されているわけです。

しかし、よくよく考えれば自分の置かれている立場は少し微妙。

でもね、そこは世の中いろんなキャラの人々がいて社会が成り立っていると、

大きな見地から考えるべきなのでしょう。

ここで私が去れば、この宴会は寂しい会になってしまいます。

最初から最後まで車座になって寡黙に酒を飲み続けるという不気味な宴席が成立してしまいます。

しかし、そういう会を開催する価値がどこにあるのか……

あるとすれば、シニアの居場所を作る慈善的な意味合いしかないだろうなと!

……これ以上の考察はやめましょう。

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