時間はあっても身を置く場所がない

・昨日のつづきですが、隣町のモールのフードコートです。

昼も過ぎた頃、ラーメンを食べ終えると数名ずつシニアグループが散見されました。

私を見ております。

その目は、同類かどうかを見定める目、そして哀れむ目、仲間を見つけたという歓喜の目、

さまざまです。

でも、基本的に彼らにはこの場所以外に身を置く場所がないのでしょう。

家にいれば良いじゃないか?

・それは会社やめてしばらくの間なのでしょう。

それ以降は妻の目や家にいても何をして良いか分らないなど……

一日24時間は万人に等しくありますが、でもそんなに要らないのです。

私も以前はそう思いました。

だから、彼らの心の内は大変よく分ります。

苦しいでしょう、私もそうでした。

でも、私の場合はもっと厳しい状況でした。

つまりいただける年金が少ないのです。

家にいてボーッとしていても、生活していけない。

バイトの口を見つけないと……、つまり時間がむしろ足りないという皮肉な状況でしたからねえ。

どちらが良いのか……どっちも一長一短ですがね。

世の中うまくいかないものです。

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