シニアおじさんの生きている意味

・この疑問は贅沢な疑問なのかも知れません。

年金受給者の私が、月々の生活に窮している状態であれば、

生きている意味なんて考える前に今日は何を食べようか……

そういう生命維持の問題が最優先されるのです。

しかし、年金をいただき、バイト代も少ないながらもらった日には……

ちょっとばかり心に余裕というものが出現します。

そして、余計なことまで考えてしまうのです。

その最たるものが、私はなぜ今生きているのか?

どうでもええやん! 生きてるんだから、それ以上でもそれ以下でもありますまい。

そうなんです。

・贅沢な、そして余計な問題です。

ですが、不用意にその世界に入ってしまうと、如何にも自分が真理を探究している高尚な人物だと勘違いするわけです。

とはいいながら、器が知れていますから結論を導き出せるわけもなく、

無為に時間が過ぎていく。

すると、脳みそのエネルギーが枯渇してしまい、空っぽに!

そこでやっと気付くのです。

私にはそぐわない世界であった。

私は大衆そのものなのだと……

そこでやっと本来の自分を再確認し、今日は何を食べようかと……ある意味生命維持を考えれば最重要課題に手をつけるのです。

結論は、シニアおじさんの生きている意味などどうでもいい。

だって、生きてるんだからしょうがないじゃん!

そういうことです。

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