世捨て人シニアになりつつあるかも
・世の中では次の総理大臣が近々決まるのでしょうね。
各方面のマスコミがいろいろ記事に載せています。
ところで、そんなことをずっと昔から繰り返してきて何か変わったのか?
そして、何に期待するのか?
それは人それぞれでしょう。
しかし、大衆シニアにとっては、その時々で一喜一憂することにすでに疲労感を感じております。
そして、それは時にマンネリとも類似した心境なのかも知れませんが、
何をどうしよう大して変わらなかったこの国と、
その事実から判断して残りの人生において変わる確率の低さに呆然と立ち尽くすわけです。
・結果として無気力になり、広い視野を失わせます。
つまり、今日明日の生きることのみに注力し、社会の動きは残りの人生の少なさから無関心となるのです。
むろんそのように何をどうしようが劇的に変わることのなかっらこの国が、
それ自体いい国であるとの判断もできましょう。
しかし、私はこの国でずっと生きてきてそれで良かったんじゃないかとも、
もっと変わって欲しかったとも言えないのです。
その程度の人間なのかもしれません。
さらに、長いサラリーマン生活の間ずっと税金を払い続けてきて、
そのおかげで年金を受け取り生かせてもらっているという事実があります。
それをどう考えるべきなのか……
世界に目を向ければ、自分より悲惨な人々はあまりにも多く、
でもだからといってお前の考えは贅沢だと切って捨てることもできないでしょう。
今はただこの国に生まれ生きていることに感謝して、
残りの人生を全うすることしか私には残されていないのかも知れません。
・そして、これから先は若い人たちのものです。
私は十分に生きてきましたから、これ以上は何も申しません。
言うのは愚痴だけです。
世の中をどのようにしようが、残りの人生が長い若者が判断して貰えればいいのかもしれません。
少なくともシニアとなった私よりは頭も回り体も動きます。
子供を育て次につなげる使命も残されているわけですからね。