悟りとは開き直りの心境なのか

人間長く生きて来ても煩悩がなくなることはありませんでした。

未だに些細なことで感情爆発が起こり、ああでもないこうでもないと気を揉んだりしましてね。 🙄

心穏やかに暮らしたいとは思いますが、人間社会に生きている限りほぼ無理っぽいのです。

そりゃあ、人里離れた山中でお寺に籠もり日々お経を唱えながら人の道を極める僧は尊いのかもしれませんが、

俗っぽい私には到底無理なのです。

時々どうせ俺はって開き直るのですが、それは自分を小者だと認めた時です。

その時だけ、だからこんなことしか出来ないんだとか、どうせ小者だからこの程度で良いんだよとか……ね。 😉

そうすると、なんとなく心が穏やかになり落ち着くのです。

あれ?

これって悟りの境地ではないのかってふと思うわけです。

何かそこに共通したものを見出してしまう。

しかしねえ、だとすれば厳しい修行を積んだ僧と私が同レベルってことになってしまう。

そんなことあり得ませんから……、じゃあ違うんだと思うわけです。

・で、かなり長く引っ張りましたが、例の新年宴会の件です。

はっきり言って腹に据えかねています。

これをどういう形で吐き出すか?

普通に吐いただけでは治まらないのです。

もっとも効果的な瞬間を捉え、天誅を下さなければなりません。

自分たちの都合や興味だけで、勝手に私の参加を同意もなく決めてしまう、その相手に対する思いやりのない女史たちに天誅を下さなければならないのです。 👿

でなければ、私は不遇のうちに頭の血管が切れあの世行ってしまいかねません。

ちょっと大げさかなあ…… 🙁

宴会まであと1週間もありません。

なんとかしなければ!

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