やはり妻は異性に違いないのだが
・高齢者という領域に突入し、若い頃から今日に至るまでを振り返ることも多くなりました。
すると、徐々に見えてくるものがあります。
女性というもの、いや妻という生き物の正体です。 😐
やはり若い頃は、生物学的な存在であったのですね。
子作りに関連する行為が優先されていたことが分かります。
私もまだ若かったせいで、十分な性欲もありましたし、妻もまだ若々しく生理もあり、女性ホルモンに支配されておりました。
すると、そのような生物としての本能が日々の生活に大きく影響を与えます。
・ところが、リタイヤシニアの段階になりますと、そういった生物学的機能が影を潜め、代わって概念が前面に出てきます。
つまり、頭の中の思考というヤツです。
はじめて妻がどういう考えの持ち主なのかということを、余計なノイズを抜きにして考えることが出来たのかもしれません。 😛
これはおそらく妻も同じ視点で私を見ているのでしょうね。
つまり、年老いてはじめて相手を人間として見ることが出来ているのかもしれません。
でも、人間本来の目的は次の世代に子孫を残すことにあることは論を待たないのでしょう。
それなくして人類が存続し続け発展する可能性がありませんから!
そういう意味で、若い頃の性行為は必然であり、その使命を終えた高齢夫婦の関係はおまけの時間なのでしょう……
それもまた良いのではないかと、横に座っている生物にちょこっと微笑んでみたりしているわけです。